大ヒット商品から撤退した事業まで。通信販売事業30年以上の歴史を語る。

プロフィール

谷野(Tanino)

1991年新卒入社。通信販売事業の初期から30年にわたり開発に携わってきた。現在は開発部の部長としてメンバーたちの成長を見守りつつも、一人でも多くのお客様に喜んでもらえる大ヒット商品を打ち出そうと活動している。

通信販売の歴史は、挑戦からはじまった。

—通信販売事業が立ち上がったきっかけを教えてください。

谷野:通信販売自体の歴史は古く、『新訂・尋常小学校唱歌』の復刻版教科書とカセットテープのセットが1978年にはすでに発売されており、これが起源となります。私が入社した当時は、書道の通信講座を受講されるお客様が多かったんです。そこで、書道が好きな文化的な方なら京都や奈良にも興味があるのではないかという話になって、発売されたのが京都の写真集でした。2万円以上する安くはない写真集だったのですが、たちまち数万部も売れたんですね。そこがユーキャンの出版の通信販売の始まりといえると思います。

—通信販売をしたことがないなかで、写真集を売ってみようというチャレンジ精神が素晴らしいですね。

谷野:はい。ユーキャンは昔から一貫してテスト文化の会社なので、スモールスタートで、テストして結果が良かったら拡大していくというスタンスなんです。事業が、大きく劇的に始まることはあまりないですが、新しいことを始めやすい文化が昔からあるんですよ。

CD全集と映像商品の躍進で、通信販売事業が加速。

—その後、通信販売事業はどのように広がっていったのでしょうか?

谷野:写真集と並行して、CD全集などの音楽商品も販売されました。『PASTELLO(パステロ)』というクラシックのCD全集や、『抒情歌全集』『昭和の流行歌』など多岐にわたるジャンルの全集を発売し続け、ラジオ番組『ジェットストリーム』をもとにした世界の音楽集が大ヒットとなり、現在もさまざまなCD全集が直実に実績を上げています。

—通信販売の最初期を支えたのは、写真集とCD全集だったんですね。

谷野:はい、そうですね。80年代の終わりごろから90年代にかけてが写真集とCD全集の黎明期でした。CD全集は音楽の分野だけではなく、瀬戸内寂聴さんの講話や日本文学の名作など多岐にわたる分野に広がりいずれも好評でした。そして、90年代半ばから映像商品の販売がスタートします。

—映像商品発売のきっかけは何だったのでしょうか?

谷野:実は、映像商品は若手だった私の転機になった商品でもあります。当時、販売していた写真集が「映像みたいな写真集」といううたい文句で売られていたこともあり、今度は「写真集みたいな映像集」をつくってみようということになって。その映像商品の開発に取り組むことになった私は、撮影スタッフに随行し京都の寺社の撮影に立ち会いました。そこから映像制作にのめり込みましたね。国内に留まらず、アマゾンやサハラ砂漠にまで行ったんですよ。映像制作をするなかで業界の方々と渡り合うために、ひたすら勉強して、映像の学校にも通いました。

—すごいのめり込みようですね! 映像商品の売れ行きはどうだったのでしょうか?

谷野:映像商品の誕生もまた通信販売の転機のひとつで、売れ行きは非常に良かったです。新しい商品を作り続け、私が手掛けたものだけでも40商品はあります。20年間くらいは映像商品のヒットが途切れることはありませんでした。なかでも2000年代は映像商品の黄金期で『世界遺産』や『京都逍遙』といった商品がヒットして、『太平洋戦争』や『昭和と戦争』などの歴史を記録した全集もよく売れていました。

最大ヒット商品の誕生。そして、新事業にも積極的に挑戦。

—色々な商品が開発されるなかで、特に通信販売の転機となるような商品はありましたか?

谷野:やはり、ユーキャンの通信販売事業史上最大のヒット商品である『日本大地図』でしょう。2001年1月に発売して以降、3万円近い価格の地図としては、異例の130万部以上を売り上げている大ヒットで、出版業界が震撼するほどでした。ベースは平凡社さんの地図なのですが、パノラマ図や名所を取り上げてユーキャンのお客様が好まれる仕様の商品にしたんです。既存の地図をそのまま販売していたら、ここまで大ヒットはしなかったでしょう。まさに、お客様のことを第一に考えるユーキャンだからこそ開発できた商品だと思います。

—さまざまな商品が生まれていく中で、通信販売事業部は部署としてどのように変遷していったのでしょうか?

谷野:先程お話しました、写真集や音楽全集の販売を始めてからしばらくは、通信教育と通信販売は事業部が分かれていませんでした。事業部がそれぞれに分かれたのは2004年ごろになってからです。2006年にユーキャンが正式社名になったのを機に(旧社名は日本通信教育連盟)、出版物を取り扱う部署が出版事業部、音楽商品を取り扱う部署が音楽事業部という名称になり、その後、2012年6月にようやく現在の通信販売事業部という名称になりました。

—その後どのような経緯で、現在ココチモで取り扱っているような家電や生活用品などを販売するようになったのでしょうか?

谷野:2009年に社内で有志が集まって新規事業プロジェクト検討会が始まりました。それがココチモ事業のスタートです。最初は『みみもとくん』という手元スピーカーや『防災セット』などの販売からスタートしました。そして、2013年に新しい通信販売ブランドのココチモが正式に立ち上がったんです。その後、アパレルや食品など、さまざまな分野に挑戦。食品は残念ながら撤退しましたが、アパレルは順調に売り上げを伸ばして2021年にアパレル企画課というひとつの課ができるまでに成長しました。

通信販売事業部をさらに発展させるヒット商品を、生み出していきたい。

―通信販売事業部は今後どのように発展していくのでしょうか?

谷野:2021年9月から通信販売事業部の文化教養事業とココチモ事業の開発が一緒になって通信販売事業部 開発部となったんです。それぞれの開発領域で培ってきたノウハウを共有することで、新しいシナジーが生まれることを期待しています。

—ご自身として掲げている目標はありますか?

谷野:ヒット商品を生み出したいですね。私たちが販売している商品は生活必需品というわけではないのですが、お客様からのアンケートハガキを見ていると「この商品のおかげで、人生が楽しくなった」と言ってくださる方も多いんです。そういった、誰かの人生に彩を添えられるような商品でヒットを出していけたらと思います。また、部長という立場では、メンバーから積極的に提案が出てくる環境づくりもしていきたい。メンバーから上がってくるアイデアも、これは売れないからダメと頭ごなしに判断しないようにしていきたいですね。どこにヒット商品の原石があるかは分からないですから。

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